このところ、筋トレとランニングが楽しい。
ひとりでするスポーツが好きなのかもしれない。 登山も基本的にはそうだし。 ドッジボール、バレーボール、バスケットボール。 コートでするスポーツは、小さい頃から違和感があって苦手だったけれど、 黙々と泳ぐとか、走るとかは嫌いではなかったし、 マラソン大会でも運動部でないわりには、なかなかの成績だったのは自慢だ。 瞬発力はないし、判断力もイマイチだけど、 持続するとか、付加がだんだん強くなるのは平気みたい。 なんだか、運動神経は性格を表す言葉と一致しているようだ。 今はもっぱらジムでは筋トレとランニング。 基本的な最低ノルマは5キロ走って、5キロバイク。 最近は10~12キロ/1時間で走っている。 体調にもよるけれど、 この5キロがあっという間の時もあれば、なかなか進まないときもある。 足が進まない。ランニングメーターが進まない。息が上る。 そんな時、 わたしはよく今弾いている曲を頭の中で反芻する。 大体10~12時間・キロで走っているので、 5キロだと約30分。 ハイドンのソナタだと、全楽章を2回弾く位。 ショパンのソナタだと全楽章一通り分の時間だ。 足を動かし走りながら、 音楽をよどみなく頭の中によみがえらせるのは、 なかなか骨の折れる事で、 途中でどこを弾いていたかわからなくなったり、 何度も同じ部分を弾いたり、(実際弾いているわけではないけど) 思い出せなくなったりする。 練習で弱いところが露呈する。 相当集中していないと、最後の小節まで行き着かない。 でも、そうして音楽に集中して走っていると、 目の前のランニングメーターはいつの間にか、 目標をすんなりクリアしていたりするのだ。 すごく不思議だ。 心の中の音楽に気持ちを集中させ、それに合わせ走っていると、 走っている事よりも、音楽が中心になり、 弾いている時と同じように、 曲に合わせて指先が緊張したり、腕の筋肉が緩んだりしてしまう。 曲をとぎらせないように、心を集中させていると、 いつしか足の痛みや、自分の息の荒さが聞こえなくなるのだ。 「Pain is inevitable. Suffering is optional」 という言葉があるそうなのだけど、 ハイドンのソナタを心の中で2回弾き終えて、 同時に予定よりも多い7キロをすっきり走リ終えたとき、 世の中の苦痛はいったい本当なのかしら?と思ったりする。 「Pain is inevitable. Suffering is optional」 (痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)) こちら次第だ。 スポンサーサイト
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