
3年前にはじめて富士山の山小屋に泊まった時から、
もうどうしても、山小屋ファンです。
山小屋というところは、不思議な宿泊施設です。
登山という目的をもち、登ってきた人しか泊まれない場所、
食事と休息。このシンプルな目的を、最低限のかたちで提供される場所です。
登山者は登山の掟「早立ち、早着き」にのっとり、
日没の2時間前までに目的地に到着します。
つまり、山小屋に着くのは遅くとも昼の3時か4時。
まだ、日が高いうちに今日一日の仕事を終えるのです。
山小屋は、当然風呂なし。
荷物の整理をし、5時からの夕食を食べ終えると、
もう、何もすることがないのです。
テレビもないし、携帯の電波も届かない。
ただただすることがない。
夕食を終え、思い思いに、なんとなく手持ち無沙汰の、
そして、妙に神妙な時間を過ごす人々に交じって、
夕陽が沈むのを見てしまったら、
本当にもうすることがない。
それが、もう最高にいいんです。
空が暗くなり、さわれそうなほど近くに見える星を、月を見て。
それも、寒いので30分も外にはいれないけれど・・・。
そして、8時消灯。山小屋は寝静まります。
このかんじ、超幸せです。8時にしてすることがないなんて。
山小屋の温かい食事で、おなかの底からじんわりとあったまって、
疲れた体に、フリースやジャケットを着込み、
わずか半畳ほどの細長いスペースに、少々かび臭いふとんと毛布に包まって、
窓の外の、暗さや寒さに耳を傾けながら、
今日見た空の高さや、山の険しさを思うと、
日頃の雑務やら人間関係やら、なにもかもが、遠いもののように思えてきます。
そして、いかに抱えなくていい種類の煩雑さに自分が囲まれているのかに、
呆然とします。もっと、シンプルに生きれるんじゃないのかな・・・。
どうしてこんなに山小屋が好きなんだろう。と考えてみたら、
ひとつは、自然にすごく近い場所で寝起きできる事。
もうひとつは、食べる事、休息する事だけで精一杯の時間の中で、
生きるという事を、ストレートに感じられるからだと思うのです。
このシンプルさがすき。開放される感じがすき。
こんな場所は、都会にはないです。
登山は大変な事だけれど、
ぜひ多くの人に山小屋に泊まってみて欲しいです。
そして、山の朝は早い。
3時半にどこかで、出立のドアの音がし始めたら、
同室の誰かも、用意をごそごそ始める。ひそひそ声。出て行く音。
遅い人でも、5時にはみんな目を覚ます。
まるで、牧場の朝のようなすがすがしさです。
先日泊まった、室堂センターは、
白馬山荘についで日本で2番目の大きさとかで、
清潔だし、ご飯も土地のものが出てきて、どれも美味しかった。
やっぱり、山小屋って楽しい。
山小屋ありきの登山だな!
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