今日のお稽古は「茶箱点前」でした。
「雪月花」の中の、 花点前と雪点前をしました。名前も美しいですね。 「茶箱」は、ピクニックセットのようなもので、 高さ20センチ程度の箱の中に、 小ぶりの茶碗、棗、茶筅、茶杓、茶巾、お菓子入れなど、 お茶を点てる時に必要なものが全て入っています。 茶人はその箱を携えて、 野外に出掛け、四季の移ろいを感じながらお茶をいただいていたのです。 以前、夙川の花見の時に、野点をしましたが、なかなか乙なものでした。 茶箱点ては、箱の中に、全てのお道具が入っているので、 まず、箱から次々とお道具を出し、おままごとのように広げて、お茶を点ていきます。 点てた後は、今度はそれらを、清めながら箱の中に次々としまって、 最後はぴったりと箱だけになり、すっきり片付きます。 どんどん収めて、最後に箱だけが、 目の前に残される瞬間は、かなりの達成感です。 本日のお軸 「風従花裏過来香」 風は花裏(かり)より過ぎ来って香し(かんばし) 「水自竹辺流出冷 風従花裏過来香」禅林句集 (水は竹辺より流れ出でて冷ややかに、風は花裏(かり)より過ぎ来って香し(かんばし) ) からきています。季節を感じさせるだけでなく、 どんなものも、ルーツや源になる所が、とても大事だ。というような意味も含んでいるそうです。 7月は、本業が忙しく、お茶のお稽古はお休みです。 スポンサーサイト
|
「人生はドロップスの缶のようなものだと考えているんです」
秋元康のその話を聞いた時、 多分すごく凹んでいたんだと思う。 だから慰められ、ストンと納得できたのだと思うのだ。 もしかしたら、励ますためのお話だったかもしれないけど、 ならば、狙い通り、励まされた。 この「人生=ドロップス缶説」は、 人生はドロップスの缶のようなもので、 缶の小さな口から、どの順番で何が出てくるのかはわからない。 けれど、誰の缶も中身は同じ。 オレンジやレモンキャンディが次々出てくる人もいれば、 何味かよくわからない白い飴ばかり出る人もいる。 マスカットキャンディを願って缶を振っても、コーヒーが出る人もいれば、 一発で願い通りのキャンディに出会える人もいる。 けれど、缶の中身はみんな同じ。 どの缶にも同じ種類、同じ量のキャンディーが入っている。 当時の私は、たぶんすごく凹んでいたのだと思う。 自分は今一番不幸のように思えても、 ドロップスの中身はみんな同じなんだ。 おめあての飴が出てこなくても、 まだ出てきていないだけなんだ。 ともうちょっと信じることが出来た。 というような、話。8年位前かな。 今日祖母に会いに行ったら、サクマドロップスの缶があったので。 |
ほたる。
世間は蛍の時期なのですね。 「私の手にのったんだよ。」 と、今日6歳の女の子が話をしてくれました。 実は、私は一度も見たことがありません。 疑問なのですが、 光っているところは熱いのでしょうか? 私のイメージでは、ほかほか熱いのですが・・・ |
日曜日は一年で最も昼の長い一日・夏至でした。
そして、今日は新月NewMoonです。 暗くて、何か新しいことが始まるタイミングって言いますね。 最近仕事帰りでも、まだうっすらと空が明るくて、 よ~し、アイスでも食べて帰ろうか?って気持ちになっていました。 夏はこれから!という気分ですが、 少しずつ日は短くなってきています。 この夏は、7月7日と8月6日に月食が、7月22日には(皆既)日食もあり、 天体や、宇宙や、地球を身近に感じる機会も多そうです。 |
先日、機会があって、ウクレレ弾いてみました!
初めての楽器って楽しい~! 恐る恐る、たどたどしく音を出すヨロコビ、久しく忘れてました。 先生みたいな音が出たらいいなぁ、と試行錯誤している内に、思わず熱中してました。 ピアノを初めたばかりの方の気持ち、ってこんな感じかなぁ。 この初々しい気持ち、もっとサポートできたらいいなあ。 ウクレレは小脇に抱えられて、可愛いです。いつか弾けるようになれるかな。 目標は、なぜか海辺で「イパネマの娘」弾き歌いです。 |
村上春樹の『1Q84』の売行きが騒がれているけれど、
新書はそうそう買えないので、久しぶりに『ねじまき鳥クロニクル』を引っ張りだしてみた。 中学生から村上春樹は読み続けていて、エッセイも紀行文もよく読む。 すりきれるほど何度も読み返した作品も何冊もあるのに、 『ねじまき鳥クロニクル』は、拷問描写が苦手なのと、重苦しい感じがあり、 今まであまり手には取らなかった。 久しぶりに読んで、初めて面白く感じた。 読むたびに、印象が変わり、違う気付きがあるのも、村上春樹の好きなところのひとつだ。 あんなに好きだった「ダンス・ダンス・ダンス」が最近違うんだよな。 さて、読み進めながら、 基本的にはファンタジーな事、そして、話が挿入が多い事、 ファンタジー引用の突飛さが、 むむむ、これなんだっけ?体験した事あるぞ。と考えた。 ら、シューマンのピアノソナタだった。 通ずるものがあると思うのですが、いかがでしょうか? 大江健三郎が、ノーベル賞をもらった頃に、「物語の持つ癒し力」の話をしていて、 当時の私は、物語と癒しがあまり結びつかなかったのだけど、今はよくわかる。 年をとったという事かな… |